豊田天功

豊田天功・・・水戸藩士。
庄屋 豊田信卿の二男として生まれる。小圷尚寛に学び幼少期から学問で頭角を現す。
藤田幽谷に認められて士分に推挙され、藤田幽谷の私塾青藍舎に入門する。
文政2年(1819年)幽谷の子 藤田東湖と江戸に出て亀田鵬斎と太田錦城に儒学を、岡田十松に剣術を学ぶ。
文政3年(1820年)彰考館見習いとして「大日本史」編纂に携わる。文政10年(1827年)蟄居処分となる。
天保4年(1833年)「中興新書」を著して藩主 徳川斉昭に藩政改革案を上呈する。
天保12年(1841年)再び彰考館に勤め「大日本史」編纂に携わる。
天保15年(1844年)藩主 徳川斉昭が幕府から隠退謹慎処分を受け雪冤運動に奔走し「防海新策」「北島志」を著して学問的裏付けを行う。
安政3年(1856年)彰考館総裁に就任する。
文化2年(1805年)誕生。文久4年(1864年)1月21日死去。

住所 茨城県水戸市松本町13−34
地図
豊田天功(2012年1月) 豊田天功(2012年1月)