得能淡雲
得能淡雲・・・大洲藩士。勤王志士。
実名は人見極馬。大洲藩士 人見十郎左衛門の長男として誕生。嘉永3年(1850年)小松藩の近藤南海に朱子学を学び、帰郷して明倫堂助教授となる。
嘉永6年(1859年)江戸で藤森天山に皇学と漢学を学び、帰郷して明倫堂教授となる。安政6年(1859年)再度、江戸に出て藤森天山塾の副塾長を務める。
文久元年(1861年)脱藩し得能淡雲と名を変え尊王攘夷運動を行い、大橋訥庵らと親交し老中安藤信正暗殺(坂下門外の変)を計画したが、事前に捕縛され獄死する。
天保6年(1835年)3月29日誕生。文久2年(1862年)8月7日死去。
住所 東京都荒川区南千住5丁目33−13 小塚原回向院
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得能淡雲の墓 |
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