徳玄寺

斗南藩主 松平容大が食事や遊びの際に使用し、重臣の会議場も兼ねていた寺。

表高二十三万石を誇り、奥羽第二の雄藩であった会津藩は全国諸藩の中で最も勤皇の志が厚かったにもかかわらず、
明治維新の際に朝敵の汚名を着せられ全国唯一の移封処分を受けてここ斗南の地へ挙藩流罪となりました。
ここ徳玄寺は藩主松平容大公の食事や遊びの際に使用された場所です。
当時の容大公は数え年三歳ではありましたが、移住藩士達を激励する為に各地を回村するなど、新天地開発に励む人々の大きな心の支えとなったのでした。
またここは重臣の会議場でもあり、様々な施策についての論議が重ねられた所でもありました。
東北の長崎を目指した大湊の開港や種々の産業開発など、卓越した構想と意欲は廃藩置県後も斗南の地にとどまった人々に希望を与え、
新生青森のあらゆる方面において会津魂は大きな功績を残したのでした。
(案内板より)

住所 青森県むつ市新町5−47
地図
徳玄寺 山門 徳玄寺
徳玄寺 案内