鉄砲射場の跡

天保6(1835)年、森喜平太長賢は27代藩主斉興から小銃の指南役を許され、鉄砲術の訓練をする射場をこの地に建て、足軽などに指導しました。
記録によると107名が周辺の集落から集まり訓練を受けたようです。
この射場は文久3(1863)年に森喜平太が亡くなるまで続きましたが、喜平太の影響を受けて、五ヶ別府から多くの人材を輩出しています。
【現地案内板より】

住所 鹿児島県鹿児島市五ヶ別府町159(鹿児島市宮川野外活動センター)
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鉄砲射場の跡 案内