天文館跡の碑

島津25代重豪が天文観測や研究のため1779年にここに明時館を建て藩内の暦はすべて明時館から配布し薩摩暦とか鹿児島暦といわれました。
明時館は別名天文館とも呼ばれ、現在の繁華街天文館の名はここから由来しています。
この付近は当時、石垣をめぐらした武家屋敷や迎賓館にあたる御着屋、花岡屋敷などがありました。
【現地案内板より】

住所 鹿児島県鹿児島市東千石町15−3
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 天文館跡