高崎正風翁の碑

高崎正風・・・薩摩藩士。歌人。
薩摩藩士 高崎五郎右衛門温恭の長男。嘉永2年(1849年)お由羅騒動(高崎崩れ)によって父 五郎右衛門が自刃。
嘉永3年(1850年)正風も奄美大島に流刑となり嘉永6年(1853年)に赦免。
赦免後、京都で国事に奔走し文久3年(1863年)の「八月十八日の政変」では会津藩公用方 秋月悌次郎と薩会同盟を結ぶ。その後、薩摩藩京都留守居役に任命。
維新後、明治4年に新政府に出仕。同年11月12日岩倉使節団の左院視察団の一員として欧米諸国を視察し明治6年9月13日に帰国。
明治8年に宮中侍従番長、明治9年に御歌掛、同年に侍補に任命。明治19年に御歌係長に任命。明治21年から明治45年まで初代御歌所所長に就任。
明治23年から明治26年まで初代國學院院長に任命。明治28年から枢密顧問官を兼任。
天保7年(1836年)7月28日誕生。明治45年2月28日死去。

住所 鹿児島県鹿児島市長田町15−8
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高崎正風翁の碑