須山萬
須山萬・・・鳥取藩士。
伯耆国日吉津村の医師 須山啓蔵の次男として生まれ藩儒 正墻薫に学び、その才能を認められて藤沢東畝に紹介され、さらに江戸で塩谷宕陰に師事して学問を深めた。
鳥取藩に取り立てられ周旋方として藩の用務で京都や江戸を往来し、長州や水戸の志士と交わり国事に奔走した。
長州藩が幕府の嫌疑を受けると、萬は義を重んじて交友を断たず、長州藩留守居役の邸に偽名で潜伏したが、元治元年(1864年)10月26日に幕吏の急襲を受けて捕縛された。
看守の隙を突いて逃走し僧形となって潜伏したものの、再び捕らえられ斬首刑となった。
元治元年(1864年)11月8日死去。
住所 東京都荒川区南千住5丁目33−13 小塚原回向院
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須山萬の遺墳 |
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