杉浦重剛旧宅

杉浦重剛・・・膳所藩句読方。教育者。思想家。膳所藩儒杉浦重文の次男。6歳の時に膳所藩校 遵義堂に入校。
        遵義堂について「予の精神は之を坦堂先生(高橋正功)に受け、学問は之を麹盧先生(黒田麹盧)に受け、識見は之を月洲先生(岩垣月洲)に受けた」と後述している。
        15歳で膳所藩より貢進生に選ばれ東京の大学南校で学ぶ。明治9年御前講演に選ばれ明治天皇に理化学実験を披露する。
        明治9年から明治13年までイギリスに留学。帰国後、文部省と東京大学に勤務。明治22年、文部省を辞め日本倶楽部に参加し、大隈重信の不平等条約改正案に反対する。
        小石川区議員になり、明治23年衆議院議員総選挙に当選。明治24年に辞職。
        後に東京文学院を設立し、以後も國學院学監、東亜同文書院院長、東宮御学問所御用掛などを歴任。
        迪宮裕仁親王(後の昭和天皇)の御進講役を務め、宮中某重大事件の際は山縣有朋に対抗した。
        安政2年(1855年)3月3日誕生。 大正13年2月13日腎臓炎で病死。

住所 滋賀県大津市杉浦町12−11
    地図
杉浦重剛旧宅 杉浦重剛先生碑
杉浦重剛50回忌記念碑 杉浦重剛先生像
杉浦重剛先生誕生地 碑 杉浦神社 碑