島津斉彬公堀井碑新旧二基

安政5年(1858年)の春、指宿は大干ばつにおそわれ、農民は稲田の枯れるのを憂え、日夜労を惜しまず田んぼに水をそそいだ。
その時、二月田温泉に滞在されていた藩主斉彬公は農民の苦労をあわれみ奉行見習東郷吉左衛門(東郷元帥の父)に命じて田間に97本の井戸を掘らせ将来の干ばつに備えさせた。
農民はこれを大変喜び、この井戸を見て自らを励まし家業に努めた。
旧碑は水神碑とともに斉彬公の偉業を讃え、翌安政6年(1859年)に東郷吉左衛門と地方検査助迫田勇右衛門によって建立された。
その後、明治から大正時代にかけて、この付近一帯の耕地整理のため堀井戸は埋め戻された。
また碑文も風化による摩耗がひどく、大正11年に東郷平八郎大将が書かれた碑文と添書をもとに昭和12年宮里源之丞氏が新しく碑を建て、斉彬公の指宿八景の歌を刻んで現在に至っている。
この新旧二基を永く保存するため文化財に指定した。
【現地案内板より】

住所 鹿児島県指宿市東方7357
    地図
島津斉彬公堀井碑新旧二基 島津斉彬公堀井碑新旧二基
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