六物空満

六物空満・・・勤王家。
大和国名柄村の森新吾の二男として誕生。堺で松浦南陽に医術を学ぶとともに天文学や暦学も修める。その後、京都大覚寺で療病院の別当を務める。
嘉永6年(1853年)ペリーが浦賀に来航すると、朝廷の命で皇祚悠久外夷掃攘の祈祷を行い、これを機に尊王攘夷運動に深く関わり、公家や志士たちと交流する。
安政5年(1858年)安政の大獄で捕縛されて江戸へ送られ、遠島の刑が決まったが移送される前に獄中で餓死する。
安政6年(1854年)11月死去。

住所 東京都荒川区南千住5丁目33−13 小塚原回向院
地図
六物空満の遺墳