六地蔵寺

栗田寛・・・歴史学者。
水戸城下で油屋の栗田雅文の子として誕生。石河幹脩、会沢正志斎、藤田東湖に漢学、国学、史学を学び弘化元年(1845年)には「古字集」を著す。
学問が認められ24歳で町人出身ながら彰考館へ出仕する。退職するが慶応3年(1867年)彰考館物書役として復帰する。
明治4年(1871年)廃藩置県後は茨城県、教部省、修史局に出仕。
明治8年に辞職して「大日本史」編纂に専念し、さらに明治13年(1880年)私塾輔仁学舎を開いて後進育成にも努めた 。
明治17年(1884年)元老院准奏任御用掛となり明治22年(1889年)に辞任して「大日本史」編纂に専念。明治25年(1892年)東京帝国大学教授として日本史・国文学を講じた。
天保6年(1835年)9月14日誕生。明治32年(1899年)1月26日死去。

立原朴次郎 ・・・水戸藩士。
江戸小石川藩邸で水戸藩士 立原杏所の三男として誕生。天保11年(1840年)に家督を継ぎ中之寄合となり中奥小姓、定江戸小姓、先手同心頭と進む。
安政5年(1858年)江戸城に不時登城し隠居蟄居処分となった徳川斉昭の雪冤に奔走した。万延元年(1860年)8月、目付に昇進した。
文久3年(1863年)藩主 徳川慶篤に随行して上洛し尊皇攘夷の風潮に触れる。
元治元年(1864年)元治甲子の乱では名代の宍戸藩主 松平頼徳従って水戸城に向かったが、諸生党との戦いで戦死した。
天保3年(1832年)6月18日誕生。元治元年(1864年)8月23日死去。

立原春沙 ・・・画家。
江戸小石川藩邸で水戸藩士 立原杏所の長女として誕生。祖父 立原翠軒より書画を学び、のちに田原藩士で画家の渡辺崋山に入門した。
天保7年(1836年)発行「江戸現在廣益諸家人名録」に名が載り、22歳にして画名が世に認められた。
のち加賀藩13代主前田斉泰の正室 溶姫に17年間仕え、江戸城大奥では花鳥図襖絵を描き、将軍御台所から筆勢を賞賛されたと伝わる。
文化11年(1814年)2月7日誕生。安政2年(1855年)11月3日死去。

住所 茨城県水戸市六反田町767
地図
栗田寛 栗田寛
立原朴次郎 立原春沙
立原家墓所 六地蔵寺
六地蔵寺