尾去沢鉱山

尾去沢銅山事件の舞台となった地。

幕末、南部藩は御用商人 鍵屋村井茂兵衛から25,000両の借金をしたが、藩と商人の身分差による当時の慣習で、証文には藩から商人の鍵屋村井茂兵衛に貸し付けた文面となっていた。
明治元年に採掘権は南部藩から鍵屋村井茂兵衛に移されたが、大蔵大輔 井上馨は明治4年にこの証文の返済を求め、その不能をもって尾去沢鉱山を差し押さえて鍵屋村井茂兵衛は破産に至った。
井上馨は尾去沢鉱山を競売し、同郷人である岡田平蔵に尾去沢鉱山を買い取らせ「従四位 井上馨所有」という高札を尾去沢鉱山に掲げて私物化を図った。
鍵屋村井茂兵衛は司法省に一件を訴え出て、司法卿であった佐賀藩出身の江藤新平がこれを追及。
井上の逮捕を政府高官に求めるが長州藩閥の抵抗でかなわず、井上馨の大蔵大輔辞職のみに終わった。

戊辰戦争時、鹿角市は南部藩(盛岡藩)の領地でした。
住所 秋田県鹿角市尾去沢獅子沢13−5
地図
尾去沢鉱山 製錬場跡
製錬場跡