大岡寺

中村栗園、中村確堂の碑が建てられている。

中村栗園・・・水口藩儒者。中津藩絵師 片山東籬の次男として生まれ天保2年(1831年)水口藩儒者 中村介石の養子となる。
        広瀬淡窓、亀井昭陽、帆足万里などに師事する。ペリー艦隊来航後に藩主の命により藩政に参画し、水口藩の勤王派の中心人物となっていく。
        明治元年、藩主 加藤明実と上京し岩倉具視を介して東征案を奏上。明治2年に大参事に就任。
        文化3年(1806年)誕生。明治14年12月20日死去。
中村確堂・・・水口藩校翼輪堂教授。教育家。水口藩士 山県彦三郎の三男として生まれる。14歳で翼輪堂に入り、15歳で翼輪堂藩校助手となる。
        中村栗園の養子となり17歳の時には養父 中村栗園に代わり翼輪堂で講義を行う。21歳から33歳まで大阪、京都に遊学し帰藩後に翼輪堂で漢学教授となる。
        中村栗園が水口藩勤王派の中心として活動を始めた事により、中村確堂も他藩士と交際し情報収集するなど中村栗園を補佐していく。
        第二次長州征討、鳥羽伏見の戦いに従軍。維新後は埼玉師範学校長、彦根中学校長、本願寺大教校教授、京都師範学校教諭を勤め明治29年に老齢を理由として退職した。
        天保3年(1832年)10月8日誕生。明治30年3月3日死去。

住所 滋賀県甲賀市水口町京町1−30
    地図
栗園中村先生寿蔵碑 確堂中村先生之碑
中村栗園、中村確堂の碑 大岡寺
大岡寺 案内