園林寺跡

小松帯刀・・・薩摩藩家老。喜入領主 肝付兼善の三男として生まれる。安政2年(1855年)奥小姓に就任。安政3年(1856年)吉利領主小松清猷の跡目養子となり、
        小松清猷の妹で宮之原主計の養女となっていたお近と結婚。安政5年(1858年)当番頭兼奏者番に就任し集成館の管理を行う。
        万延元年(1860年)弁天波止場受持に就任。文久元年(1861年)島津久光の側役となり10月から御改革御内容掛として藩政改革に取り組む。
        文久2年(1862年)島津久光の上洛に随行。帰国後に家老に就任。
        以降は家老として薩英戦争、禁門の変、長州征討、薩長同盟、薩土盟約、四候会議、大政奉還、倒幕など幕末における薩摩藩のほぼ全ての政治・事件などを処理していく。
        新政府では参与、外国事務掛などの要職を歴任し新政府の骨子を作り上げていく。明治2年5月15日に病により退職。
        天保6年(1835年)10月14日誕生。明治3年7月20日死去。
お近・・・小松帯刀の正妻。吉利領主 小松清猷の妹。
     文政11年(1828年)7月3日誕生。明治17年死去。
お琴・・・京都祇園芸妓。小松帯刀第2夫人。文久3年(1863年)に京都で小松帯刀と出会い、小松帯刀の京都における情報収集に協力。
     慶応元年(1865年)小松帯刀に引き取られ小松帯刀の京都邸で暮らし始める。慶応2年(1866年)小松帯刀の長男 安千代(後の小松清直)を出産。
     明治3年に長女 寿美を出産。明治3年小松帯刀が大阪で病状に伏せっている時には献身的に看病し看取る。小松帯刀の死後は長男を正妻 お近に預け長女 寿美と暮らす。
     弘化4年(1848年)誕生。明治7年8月27日死去。

住所 鹿児島県日置市日吉町吉利5000−1
    地図
小松帯刀 小松帯刀夫人お近
小松帯刀第二婦人お琴 小松家墓所
小松家暦代一族の墓案内図 園林寺 案内
小松帯刀 案内 大河ドラマ「篤姫」のパネル