新島襄寄港記念碑

新島襄先生(1843年~1890年)が、洋式帆船快風丸で江戸から函館に航海中、この下風呂に寄港されたのは、元治元年(1864年)陰暦4月18日から20日にかけてで、ときに21歳であった。
温泉の快さや当地での見聞を詳しく「函館紀行」に書きとめ、江戸の厳父にも手紙で伝えている。
この寄港から約2か月後の6月14日(陽暦7月17日)先生は国禁を犯して函館から脱国し、アメリカのアーモスト大学などに学ぶこと十年。
明治7年(1874年)に帰国し、翌8年11月京都に同志社英学校を開設された。これが総合学園同志社の源である。
この地に壮図を抱いて寄港された新島襄先生を偲び、学校法人同志社の協力を得て、ここに記念の碑を建立する。
(現地案内板より)

住所 青森県下北郡風間浦村下風呂(海峡いさりび公園内)
地図
新島襄寄港記念碑 新島襄寄港記念碑 案内
新島襄寄港記念碑