永山武四郎誕生地

「屯田兵の父」といわれる永山武四郎は天保8(1837)年に西田村のこの地に生まれた。
明治維新のとき幕府側の会津藩との戦いで名をあげ、明治5(1872)年9月北海道に赴任し、北海道の開拓に一生を捧げた。
とくに屯田兵制度は永山の発案で、開拓時間黒田清隆(のち第2代総理大臣)が政府に建言し実施された。
西南戦争には屯田兵を指揮し、人吉で薩軍との戦いに参加した。
明治21(1888)年には第2代北海道長官、翌22(1889)年屯田兵長官、明治29(1896)年屯田兵が廃止され第七師団が置かれると、その初代師団長となった。
明治36(1903)年に貴族院議員となったが翌年病のため亡くなった。(67歳)
【現地案内板より】

住所 鹿児島県鹿児島市薬師2丁目7−9
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