水口城

3代将軍 徳川家光が上洛する際の宿館として水口城を建築。二条城の御殿を模して数奇を凝らした御殿が建築されたが徳川将軍が宿泊したのは徳川家光の一度きりとなる。
その後は幕府城番が支配する番城となるが、天和2年(1682年)に加藤明友が2万石で水口藩を立藩。
元禄8年(1695年)から正徳2年(1712年)鳥居忠英が入部するが、再び加藤家が入部し明治維新を迎える。
歴代の水口藩主は城を幕府からの借り物として本丸御殿は使用する事無く二の丸を使用していた。
本丸跡は水口高校のグランドとして使われ、出丸跡には移築されていた本丸乾矢倉を再移築して改築し水口城資料館が建てられている。

住所 滋賀県甲賀市水口町本丸4−80
    地図
水口城 出丸跡
本丸跡 水口城
水口城 案内