三国幽眠生誕の町

江戸中期から後期にかけて一代で財を成した三国湊の豪商森与兵衛(屋号は宮腰屋)の三男に生まれ、儒学者を志す。天保9年(1838年)京都鷹司家の儒官となり、後に大学と改名する。
将軍継嗣問題につき、福井藩主十六代松平春嶽公の命令を受けた橋本左内と接触し、関白鷹司政道を一橋派へ引き入れる工作に関わる。明治29年(1896年)87歳で没す。
当下西区で生誕した幽眠は有栖川宮幟仁親王に「歳徳神」染筆を依頼、この神号を当区に寄付している。
【現地案内板より】

住所 福井県坂井市三国町南本町3丁目6−61
地図
三国幽眠生誕の町 三国幽眠生誕の町 案内