松平太郎の墓
松平太郎・・・幕臣。蝦夷共和国副総裁。実業家。
幕臣 松平九郎左衛門の子として生まれ、村上英俊に仏学を学ぶ。奥右筆を経て、慶応3年(1867年)外国奉行支配組頭となる。
慶応4年(1868年)戊辰戦争が始まると歩兵頭を経て陸軍奉行並に任命され幕府軍の統制にあたるが、主戦論に転じ江戸を脱出。
会津戦争敗北後、蝦夷地へ渡る。蝦夷共和国の選挙で榎本武揚に次ぐ得票を得て副総裁となり民政と外交を担当。
明治2年(1869年)新政府軍総攻撃で降伏し、五稜郭開城後に東京で禁固。明治5年(1872年)釈放され開拓使に出仕するが辞任。
その後ウラジオストクで外務省出仕となるも退職し、貿易業や織物業を試みるが失敗。晩年は家族に先立たれ、榎本武揚の保護下で暮す。
天保10年(1839年)誕生。明治42年(1909年)5月24日死去。
住所 東京都荒川区南千住1丁目59−11 円通寺
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