河野顕三
河野顕三 通桓・・・勤王志士。
墓石には本姓の甲田と刻まれている。下野国河内郡吉田村の医師 甲田意伯の次男として生まれ、祖父の河野守弘に教育され尊王攘夷思想を抱く。
のち江戸に出て外国奉行堀利煕邸に寄寓するが、堀利煕が日普修好通商条約交渉の責任を取り自刃。
堀利煕の死により安藤信正襲撃計画に参加。文久2年(1862年)1月15日に坂下門外で襲撃するが失敗し討死した。
天保9年(1838年)誕生。文久2年(1862年)1月15日死去。
住所 東京都荒川区南千住5丁目33−13 小塚原回向院
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河野顕三の墓 |
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