梅田雲浜湖南塾址碑

小浜藩士 梅田雲浜が27歳の時に湖南塾を開いた事を記念した碑が建てられている。
実際の湖南塾址は旧北保町(現在の大津市観音寺町)である。

梅田雲浜・・・小浜藩士。安政の大獄最初の逮捕者。矢部岩十郎義比の次男として生まれ、後に祖父の実家の性である梅田を名乗る。
        天保14年(1843年)以降、京都に移り、小浜藩が管理した望南軒の講主となる。
        嘉永5年(1852年)藩政を批判する海防策意見書を藩に建白したが、藩主の忌諱に触れ藩籍を削られ浪人となる。
        京都において尊王攘夷運動の中心人物として活動し安政の大獄で逮捕され獄死する。
        文化12年(1815年)6月7日生誕。安政6年(1859年)9月14日獄死。

住所 滋賀県大津市大門通5−1(大津市立長等小学校正門前)
    地図
梅田雲浜湖南塾址碑 梅田雲浜湖南塾址碑