狛屋敷跡

福井藩の家老職を務めていた狛帯刀(南狛)家の屋敷跡。
家老になれる最高家格である高知席が17家あり、狛(南狛)家はその内の1家。

ここは福井藩の家老を勤めていた狛家の屋敷があった場所である。現在のフェニックス通りに面して、この辺りは禄高1万石以上の武家屋敷が並んでおり「大名広路」と呼ばれていた。
現在も交差点やバス停に「大名町」の名称が使われるのは、この名残である。狛家は当初は1万石を有する家であったが、江戸時代中期に北狛、南狛の2家に分かれた。
右に掲げた絵は南狛屋敷付近の旧景であり、この敷地面積は3,740坪の広大なものであった。北は北狛家、南は酒井家と本多家、東は大名広路に面して門が設けられた。
東側の間口は約70間であり、広大な長屋門が続いていた。このような広大な屋敷が並んでいた江戸時代の景観は「大名広路」の名にふさわしく、全国的にみても類例の少ないものであった。
なお、「狛」の名は現在も現在も自治会の名称に使われている。
【現地案内板より】

住所 福井県福井市順化1丁目10−20
地図
狛屋敷跡 案内 狛屋敷跡