弘福寺

勝海舟が島田虎之助の道場に通い剣術稽古をしていた頃に、師の島田虎之助に勧められて弘福寺に通い参禅していた。

瀬川如皐(3代目)・・・歌舞伎作者。
江戸で呉服屋を営んでいたが、天保10年(1839年)絞吉平の名で河原崎座に入り狂言創作を始める。
五代目鶴屋南北に師事し、嘉永元年(1848年)中村座の立作者となり、嘉永3年(1850年)三代目瀬川如皐を襲名した。
八代目市川團十郎、三代目澤村田之助、四代目市川小團次などのために多くの台本を執筆した。
文化3年(1806年)誕生。明治14年(1881年)6月28日死去。

佐膳元立・・・鳥取藩士。
伯耆国会見郡境村の医師 加藤洞仙の次男として生まれ、嘉永4年(1851年)鳥取藩儒 佐善正蔵の娘と結婚して養子となる。
安政2年(1855年)藩校尚徳館の教官となり、侍講、学校吟味役文場掛、学校小文場頭取と歴任する。
尊王攘夷運動に加わり、文久2年(1862年)8月17日に河田景与ら同士22名と共に京都本圀寺を襲撃し側用人4名を斬殺する本圀寺事件を起こし脱藩する。
大政復古により帰藩し明治2年(1869年)鳥取藩漢学寮長のち鳥取県属を務め、東京へ出て大蔵省に出仕する。辞職後は時敏塾を開き後進の教育に尽力した。
文政11年(1828年)誕生。明治19年(1886年)12月2日死去。

住所 東京都墨田区向島5丁目3−2
地図
瀬川如皐(3代目)の墓 瀬川如皐(3代目)の墓
佐膳元立の墓 佐膳元立の墓 右面
佐膳元立の墓 弘福寺