喜多院 斎霊殿

西川練造・・・志士。
武蔵国入間郡小仙波村に生まれ父に医術、大川平兵衛に剣術を習う。嘉永元年(1848年)に江戸へ出て、安政3年(1856年)入間郡下奥富村で医院開業。
下奥富村を訪れてきた清川八郎と親交を結び、文久元年(1861年)清川八郎の「虎尾の会」に加盟。
同年、清川八郎が幕府役人を斬って幕吏に追われ、5月25日に奥富村の広福寺で清川八郎などと会合していた所を幕吏に踏み込まれ捕縛、入牢し獄死。
文化14年(1817年)3月17日誕生。文久元年(1862年)12月14日獄死。

高林謙三・・・医師。製茶機械発明家。
武蔵国高麗郡平沢村に生まれ、嘉永6年(1853年)権田直助に医学と国学を学ぶ。後に西洋医学も学び入間郡小仙波村で医院を開業。
文久2年(1862年)川越藩主 松平直克の侍医となる。明治2年(1869年)川越の林野を開拓し茶園経営を始める。
使1869年(明治2年) - 茶園経営を始める。手作業では量産が難しいため私財を投じて製茶機械の開発を始め明治31年(1898年)に高林式茶葉粗揉機を完成させる。
天保3年(1832年)4月25日誕生。明治34年(1901年)4月1日死去。

小河原政甫・・・川越藩家老。
小河原左宮の父。川越藩家老を勤め、浦賀沖警備の際には海軍警備の将となる。
川越藩主 松平直克が慶応3年(1867年)3月、前橋に移封となった際に一族と前橋へ転居した。

住所 埼玉県川越市小仙波町1-10-1
地図
西川練造の墓 西川練造の案内
高林謙三の墓 高林謙三の案内
小河原政甫の墓 小河原政甫の案内
斎霊殿 西川錬造・高林謙三の碑