大垣藩校敬教堂跡

大垣藩第八代藩主戸田氏庸は、藩士の子弟を教育する為、天保11年(1840年)大垣城籠の口門外(現在地)に学問所を設立し、後に致道館、敬教堂、学館と改称されました。
第十代氏彬のとき、孔子像を祀った大成殿を設け、その雷除けとして植えられたのが「剣の木」と俗称されるこのトネリコであると伝えられています。
明治維新後、藩校は文学校と武学校に分かれ、このトネリコも道路上に残されたため、現在の地に移されました。
【現地案内板より】

住所 岐阜県大垣市東外側町2丁目24(大垣市保健センター)
地図
大垣藩校敬教堂跡 大垣藩校敬教堂跡 トネリコの木
大垣藩校敬教堂 案内