川瀬太宰邸宅趾

川瀬太宰が住んでおり、勤王志士や膳所藩正義派の密議の場となっていた住居跡地。
佐野七五三之助が率いる新選組が慶応元年(1865)閏5月に捜索に出動している。

川瀬太宰・・・儒学者。勤王志士。膳所藩家老 戸田資能の四男として生まれ園城寺寺侍の池田恭雄の養子となり養女の幸と結婚し川瀬太宰と名を改める。
        勤王家として奔走し自宅は勤王志士や膳所藩正義派の密議の場となっていた。
        慶応元年(1865年)閏5月、膳所藩尊攘派弾圧の際に幕府から追われ京都の雲母峠で捕縛され、京都の六角獄に送られ慶応2年(1866年)6月7日に斬首された。
        文政2年(1819年)誕生。慶応2年(1866年)6月7日死去。
川瀬幸・・・川瀬太宰の妻。川瀬太宰が慶応元年(1865年)閏5月、幕府に捕縛され3日後に新選組と京都町奉行所が自宅に捜索に来た際に時間の猶予を請い、
       奥に入って太宰の残した書類を燃やし匕首で自殺を図る。
       関係書類が燃やされた事を知った幕吏が川瀬幸の頭などを蹴って立ち去った事に憤り寝食を絶って慶応元年(1865年)閏5月26日に亡くなる。
       慶応元年(1865年)閏5月26日死去。

住所 滋賀県大津市尾花川11−16
    地図
川瀬太宰邸宅趾 川瀬太宰邸宅趾