神田孝平邸宅跡

孝平〈天保元年(1830年)~明治31年(1898年)〉名は孟恪、号は淡崖、有不為楼、唐通等と称した。蘭学を学び開成所頭取となる。
幕末に商工立国論を唱え、維新後明治政府に出仕し制度取締等に当る。特に地租改正に貢献した。岐阜県では置県百二十年記念式典で「郷土に輝く先人」としてその功績を称えた。
明治四年兵庫県令、元老院議官、貴族院議員等を歴任し男爵を授けられた。この間、明六社に加盟し学士院会員となる。数学、経済、法律、天文学、考古学等造詣深く明治文化の先覚者である。
【現地案内板より】

住所 岐阜県不破郡垂井町岩手569−5
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神田孝平邸宅跡 神田孝平邸宅跡