神田柳渓邸宅跡

柳渓〈寛政5年(1793年)~嘉永4年(1851年)〉名は充、字は実甫。号を柳渓・南宮等と称した。寧夏を小石元瑞、産科を奥劣斎に、蘭学を飯沼慾斎に学ぶ、医を業とした。
また、本草学者山本亡洋等と親交があり、詩人として頼山陽、梁川星巌、江馬細香等と交友し、白鴎社の同人として美濃漢詩壇の重鎮であった。
門弟に長原武、江馬金栗、渓毛芥、三上藤川等がある。南宮詩鈔二巻、蘭学実験三巻、薬性論がある。柳渓の息男春渓も山本亡洋、伊藤玄朴に学んだが早世した。
【現地案内板より】

住所 岐阜県不破郡垂井町岩手564−5
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神田柳渓邸宅跡 神田柳渓邸宅跡