自證院
慶応4年(1868年)5月15日に上野戦争が起り、寛永寺を脱出した輪王寺宮(のちの北白川宮能久親王)が5月17日から25日まで身を潜めていた地。
自證院を出て羽田沖に向かい榎本艦隊の長鯨丸に乗り込み平潟へ向う。
北白川宮能久親王・・・皇族・陸軍軍人。
伏見宮邦家親王の第九王子として誕生。安政5年(1858年)に親王宣下を受け、輪王寺宮として得度し、寛永寺貫主・日光輪王寺門跡を継承する。
慶応4年(1868年)戊辰戦争では、徳川慶喜の助命嘆願のため東征大総督有栖川宮熾仁親王を訪ねるが受け入れられず、のちに彰義隊・奥羽越列藩同盟に擁立され同盟の盟主となる。
新政府軍の進撃により仙台藩へ逃れ、同盟崩壊後に降伏し、京都で蟄居を命じられ親王位も剥奪される。
明治2年(1869年)に処分が解かれ、明治3年(1870年)プロイセンへ留学しドイツ語や軍事学を修める。
明治10年(1877年)の帰国後は陸軍で第6師団長や第4師団長を務め、大日本農会初代総裁、貴族院皇族議員としても活動した。
明治28年(1895年)日清戦争後の台湾平定のため近衛師団長として出征し、台南でマラリアに罹患し陣没。薨去後に陸軍大将を追贈され、国葬が行われた。
弘化4年(1847年)2月16日誕生。明治28年(1895年)10月28日死去。
住所 東京都新宿区富久町4−5
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