板垣退助遭難の地

明治15年4月6日午後一時、時の自由党総理 板垣退助が仲教院にて演説を行う参会者百余名、
夕刻板垣総理すべてを終え玄関から数歩出るや「国賊」と叫んで相原尚褧が総理の胸を刺す。総理「板垣死すとも自由は死せず」と有名な言葉を残したのである。即ち板垣総理遭難の地である。
【現地案内板より】

住所 岐阜県岐阜市千畳敷下257周辺(岐阜公園内)
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板垣退助遭難の地 板垣退助 銅像
板垣退助遭難の地 板垣退助遭難の地 案内