射場山跡

弘化3年(1846年)8月28日、谷山の中塩屋(現在、小松原1丁目)のこの地において御流儀洋式砲術の大がかりな演習が行われました。
総指揮指南役 成田正右衛門、島津家第28代当主 斉彬もたちあい、炎天下のもと砂浜で砲車の移動など実戦さながらのようだったと斉彬文書に記録されています。
射場山はその名のとおり大砲の射場があった場所で安政5年(1858年)には中塩屋に煙硝蔵(火薬庫)も建設され、
西洋人や他藩の伝習生が出入りする藩の重要な区域だったようです。
この煙硝倉は西南戦争の時政府軍の手によって焼き払われました。
【現地案内板より】

住所 鹿児島県鹿児島市小松原1丁目68
    地図
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