広瀬青邨・広瀬林外
広瀬青邨・・・儒学者
豊前で矢野徳四郎の四男として誕生。天保5年(1834年)広瀬淡窓の私塾咸宜園に入門し、天保12年(1841年)深水玄門に医学を学ぶ。
天保15年(1844年)広瀬淡窓の養子となり安政2年(1855年)塾主となる。文久2年(1862年)広瀬林外に塾政を譲り塾主を譲り府内藩校遊焉館の教頭に就任する。
明治2年(1869年)京都学習院漢学所で講師となり、兼て私塾立命館の講師を務める。明治10年(1877年)創立された私立華族学校の教授に就任する。
文政2年(1819年)8月15日誕生。明治17年(1884年)2月3日死去。
広瀬林外・・・儒学者。
広瀬旭荘の子として生まれ伯父の広瀬淡窓に育てられ咸宜園で学ぶ。文久2年(1862年)広瀬青邨から経営を譲られ塾主となる。
明治維新後、洋学を学ぶ為に東京へ出るが、勧められ太政官正院歴史課奏任御用掛となる。
天保7年(1836年)誕生。明治7年(1874年)5月14日死去。
住所 東京都府中市多磨町4丁目628 多磨霊園 21区1種16側1番