平賀義質・平賀義美

平賀義質・・・福岡藩士。官僚。実業家。
福岡藩士 平賀源六の子として誕生。 安政5年(1858年)藩命で長崎に赴き西洋学を学び、慶応3年(1867年)再び藩命を受けてアメリカに留学する。
明治3年(1870年)に帰国し司法少判事に任ぜられ権中判事へと進み11月に岩倉使節団の一員として欧米へ渡航する。
明治6年(1873年)に帰国し権大法官となり函館裁判所長、検事局判事を歴任し明治12年(1879年)に辞任する。
明治14年(1881年)魚鳥会社の社長に就任。
明治15年(1882年)4月4日、長男の固太郎が毒物を誤飲して亡くなり、その水を義質が誤って飲んでしまい死亡する。
文政9年(1826年)8月1日誕生。明治15年(1882年)4月4日死去。

平賀義美・・・福岡藩士。官僚。実業家。
福岡藩士 石松源次の子として誕生。明治3年(1870年)福岡藩貢進生として大学南校で理化学を学び、のちイギリスに留学し染色や織物を研究する。
帰国後、東京職工学校教諭となる。明治15年(1882年)平賀義質の娘婿となる。
明治23年(1890年)農商務省に入省し、明治27年(1894年)大阪府立商品陳列所長を務める。
明治39年(1906年)大阪織物合資会社を設立し、大正6年(1917年)大阪実業協会会長に就任した。
安政4年(1857年)8月6日誕生。昭和18年(1943年)3月2日死去。

住所 東京都府中市多磨町4丁目628 多磨霊園 20区1種16側15番
地図
平賀義質 平賀義美
平賀家墓所