長谷場純孝の墓

長谷場純孝・・・薩摩藩士。政治家。明治4年に上京し警視庁の羅卒。後に少警部となる。東京で西郷隆盛と知り合い西郷より「致堂」の号を与えられる。
          征韓論に敗れた西郷隆盛が明治6年に鹿児島へ戻り、長谷場純孝も明治7年に警視庁を辞め串木野に戻り私学校に入る。
          明治10年の西南戦争では二番大隊一番小隊に所属。田原坂の戦いで右足を負傷し串木野に戻り、島平浦警察分署を襲撃し捕えられ富山監獄に収容される。
          明治13年に特赦により出所。国会開設に備え頭山満らと九州改進党を結成。明治18年から鹿児島県議員となり、明治20年から群長を務める。
          明治23年に第1回衆議院選挙に当選。衆議院議員を25年間務める。その間、衆議院議長を3回、文部t大臣を1回務める。
          嘉永7年(1854年)4月1日誕生。大正3年3月15日死去。

住所 鹿児島県いちき串木野市上名2566−1 周辺
    地図
長谷場純孝 長谷場純孝