藩境塚

江戸時代に南部藩(盛岡藩)領と津軽藩領の境界の目印として奥州街道沿いに築かれた塚。
南部と津軽それぞれ2基ずつ、計4基あることから「四ツ森」とも呼ばれている。
塚と塚の間を流れる二本股川と烏帽子岳山頂を結ぶ線が境界とされていたが、山中の境界が曖昧だった事からたびたび論争が起こっている。
藩境にある馬門村と狩場沢村にはそれぞれ番所が置かれ、馬門村は江戸時代をとおして盛岡藩領だったが、
狩場沢村は、はじめは弘前藩領、明暦2年(1656年)に黒石津軽藩領となり、文化6年(1809年)には黒石藩の成立とともに同藩領となる。

住所 青森県上北郡野辺地町柴崎8−126 周辺
地図
盛岡領 津軽領
藩境塚 藩境塚 案内
藩境塚入口