円通寺

斗南藩主 松平容大が起居し藩庁及び日新館として利用された寺。
明治33年8月、会津藩士により招魂の碑が境内に建てられた。

明治維新は会津藩にとって、まさに動乱の時代でした。
朝敵の汚名を着せられたまま廃藩となった会津藩は、翌明治2年9月、全国唯一の移封処分を受け最北の地へ挙藩流罪となったのです。
ここ円通寺は、明治4年2月18日数え年3才の松平容大公を藩主に迎え、斗南藩の仮館として藩庁が置かれた場所で、容保公、容大公が起居をともにされました。
現在も容大公愛玩の布袋像などが保存されています。また、同時に田名部迎町大黒屋文左衛門方に開設中の藩学校日新館もここに移されました。
境内にはこの地に残った会津人の手により、明治33年8月容大公揮毫による会津藩士の招魂碑が建てられました。碑文は会津藩士族南摩綱紀博士の撰によります。
(案内板より)

住所 青森県むつ市新町4-11
地図
招魂の碑 招魂の碑 裏面
円通寺 円通寺 案内