土肥庄次郎の碑
土肥庄次郎・・・武士。幇間。
一橋家家臣 土肥半蔵の長男として誕生。若年より花魁遊びに耽り家出、吉原で幇間となるが父祖により廃嫡・追放となり弟の八十三郎が家督を継ぐ。
元治元年(1864年)慶喜の禁裏御守衛総督就任を機に帰参し第一次長州征伐に従軍。慶応4年(1868年)彰義隊第一赤隊隊長の弟に説得され彰義隊に入隊し防諜活動を担当。
5月15日の上野戦争敗戦後、榎本武揚艦隊に合流するが、乗船した咸臨丸が官軍襲撃を受け蝦夷行きを断念する。のち吉原で松廼屋露八の名で幇間として生活する。
天保4年(1834年)誕生。明治36年(1903年)11月23日死去。
住所 東京都荒川区南千住1丁目59−11 円通寺
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土肥庄次郎の碑 |
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