大黒寺

薩摩藩邸が近くに有り、島津家の守り本尊で有る大黒天を祀っている縁により薩摩藩の祈願所となり、寺名も長福寺から大黒寺に改めた。
文久2年(1862)4月23日寺田屋事件の犠牲者を祀った伏見寺田屋殉難九烈士之墓、中村主計重義の碑。
平田靱負の墓が有る。

伏見寺田屋殉難九烈士之墓、中村主計重義の碑
有馬新七正義・・・寺田屋で闘死
田中謙助盛明・・・寺田屋で負傷を負い、翌日4月24日切腹
橋口傅蔵兼備・・・寺田屋で闘死
柴山愛次郎道隆・・・寺田屋で山口金之進に斬られ死去
弟子丸龍助方行・・・寺田屋で闘死
橋口壮介隷三・・・寺田屋で負傷を負い、翌日4月24日切腹
西田尚五郎正基・・・寺田屋で闘死
森山新五左衛門永治・・・寺田屋で重傷を負い、翌日4月24日切腹
山本四郎美徳・・・4月27日に帰国の命を受けたが服さずに自刃
中村主計重義の碑・・・肥前島原藩士 寺田屋で捕らえられ薩摩に護送中の5月7日に薩摩藩士に斬殺された

平田靱負の墓。
平田靱負・・・江戸中期の薩摩藩中老。宝暦治水工事の責任をとり自害する。薩摩藩が幕府への憎しみを募らせる事件の責任者。

住所 京都府京都市伏見区鷹匠町4
地図
伏見寺田屋殉難九烈士之墓 有馬新七正義
田中謙助盛明 橋口傅蔵兼備
柴山愛次郎道隆 弟子丸龍助方行
橋口壮介隷三 西田尚五郎正基
森山新五左衛門永治 山本四郎美徳
中村主計重義の碑 伏見寺田屋殉難九烈士之墓
平田靱負 伏見義挙殉難士之墓地碑
大黒寺 大黒寺 案内
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