安養院

長岡謙吉・・・土佐藩出身 海援隊士。土佐では河田小龍に蘭学を学び、嘉永年間に大阪、江戸に遊学。安政6年(1859年)長崎で二宮敬作に西洋医術を学ぶ。
        慶応3年(1867年)海援隊に参加し「大政奉還建白書」「船中八策」の起草に関与。坂本龍馬の死後は第2代海援隊隊長に選ばれる。
        戊辰戦争では高松征討、塩飽諸島の鎮撫で功を挙げる。維新後は三河県知事、大蔵省、工部省などに勤務。
        天保5年(1834年)出生。明治5年6月11日死去。

谷神之助、川上友八、小笠原彦弥、小島捨蔵・・・土佐藩米国留学候補生。明治3年1月3日に築地真福寺関門で大声で騒いでいたのを金沢藩兵が番所に連行して糾問し土佐藩に引き渡したが、
                              翌日に逆恨みをし4人で金沢藩が警備していた運上所に切り込み、5人に死傷を負わせた。その後、藩邸に戻り切腹して果てる。

土佐藩米国留学候補生4名の墓の奥には土佐藩士の墓所もあります。

住所 東京都港区芝公園2丁目3−2
地図
長岡謙吉 長岡謙吉
谷神之助 川上友八
小笠原彦弥 小島捨蔵
高知藩米国留学候補生4名の墓 土佐藩墓地
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