天田愚庵草庵址

天田愚庵が明治33年に草庵を結び、明治37年に没した地。

天田愚庵・・・磐城平藩士。歌人。
慶応4年(1868年)戊辰戦争に従軍したが、平城は落城し愚庵は仙台へ落ち延びる。戦火の中で父母妹が行方不明となる。
明治4年に上京し神田のニコライ神学校に入学。明治5年に山岡鉄舟の門下となる。
明治11年に山岡鉄舟の紹介で清水次郎長の元に身を寄せ、明治14年に清水次郎長の養子となり明治17年に次郎長が描いた「東海遊侠伝」を出版し、同年に養子を解消。
明治20年に得度し禅僧となる。
嘉永7年(1854年)7月20日誕生。明治37年1月17日死去。

住所 京都府京都市伏見区桃山町泰長老147−7
地図
     天田愚庵草庵址 天田愚庵草庵址 案内     
愚庵終焉の地 碑